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工作系

kousakukei.jpg

今は借家住まいだけれど、
いつの日か建てるであろうマイホームには
二つの欠かせないプランがある。

一つはオーディオルームで、構造はできれば
半地下が望ましい。夜中でも等身大の音量で、
ご近所さんに遠慮なく楽しめるように。
もう一つは小さくてもいいから作業小屋を作ること。
ここでは主に木工をすることになると思う。

森博嗣というミステリ作家がいて、本業は大学教員であり、
M大工学部で助手をしていたこともあるらしいと風の噂で
知ってはいたものの、
それだけでは彼の本を読んでみようという決め手には欠け、
ようやく手にした初めての一冊は『アンチハウス』という、
自宅ガレージ建設の顛末をまとめたドキュメンタリータッチの
本だった。

初めて読む森博嗣の本として適切だとは言えないものの、
そして内容もそれほど面白いとは感じなかったものの、
読後に妙な引っ掛かりがあって、ならば小説を試してみようと
すべてがFになる』を読んでみたら、あとは止まらなくなった。

犀川&萌絵シリーズも、瀬在丸紅子のVシリーズも風のように
読んで、四季の4冊こそ分りにくかったけれど、まあムードで
読まされてしまった。
理系人とはこういう人種であるものか、という新鮮な発見があった。

で、いま読み終えたばかりなのが『工作少年の日々』である。
自宅敷地に庭園鉄道を張り巡らして遊ぶモリヒロシ、
ラジコン飛行機を作って飛ばすモリヒロシ、
散らかし放題で奥さんには弱いモリヒロシの姿が、
駄洒落と成り行き任せに満ちた(ように見える)文体で語られる
著者初の本格エッセイ集となっている。

かつての日本家屋には土間や納屋があって、作業スペースとして
機能していたのに現在は失われてしまったという指摘や、
散らかし放題で工作していた昔のほうが、整理整頓を身に付けた
現在より生産性自体においては優れていたという発見とか、
忙しい忙しいと言う人ほど…とか。
肯かされるところと励まされるところ多し。

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僕は多数派

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ケータイは持っていないし、乗っているクルマは今どき
セダンだし、スピーカーは自作するし、テレビは10年前に
職場の忘年会でもらった14型だし、木彫はするしで、
僕は世の中において圧倒的にマイナな存在だとこれまで
思っていたのだけど、
実は今朝の新聞を見て、7割に属するメジャーな人物
であると判明したので報告します。

①「げきを飛ばす」、②「姑息」、③「ぶぜん」について、
①元気付ける、②卑怯、③腹を立てすぎて声も出ない様子、
という具合に理解して疑わなかったところが、
日本語世論調査の結果を伝える記事によると
実はちがったことを知り、少しくショックを受けた。

正しい意味はそれぞれ、
①自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求めること(15%)
②一時しのぎ(13%…数字は正答率)
③失望してぼんやりとしている様子(16%)
であるらしいが、ちょっと待ってほしい。
んー、正しい意味で使われているのって僕はこれまで
見聞きしたことがない。
むしろ正答された方々が、どのように本来の正しい意味を
知ったのか。世代的なものなのか。そっちに興味が湧く。

これらは【本来の意味とは異なる意味で理解されている
言葉】ということだが、記事は他にも、若者言葉の使用が
ジワリと増えていることを伝えている。

「なにげなく」の代わりに「なにげに」を使う人は、現在
24%いるのだそうだ。とてもタイムリーなことに☆logでも
昨日の2行目で使っている。ちょっと使うのに勇気がいった?
かと思えばそうでもなくて、若者言葉に分類されているんだ。
へえー、というのが正直な感想。
ちなみにこれまでlogで使った最強(と僕が思っている)のは
【アウトオブ眼中】で「眼中にない」の意。大学一年のとき、
同級生のバンちゃんが言っていてすごく斬新だと思ったので
今でも時おり使わせてもらっている。

さすがに「チョーきれい」とか「僕って~じゃないですか」とか
「すごい速い」とは言わないし、「全然」は否定形と結びつく
ものだと信じて疑わないが、言葉というのはやっぱり生き物
ですよ。ナマモノと言い換えてもいいか。
だから面白い。

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夏はスイカバー

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仕事先から職場に戻る車を運転中、信号待ちをしていて
何げに横を見たら、軽トラックのアンちゃんがロッテの
スイカバーを食べていた。
「アッ、アレはスイカバー! しかも単体で売ってるヤツだッ」

そうなのである。
スイカバーには2種類あって、通常スーパーで売られている
6本入のものは、「スイカバー」と「メロンバー」が3本ずつ
入っている。
そして主にコンビニで売られているのが、単体1本売りの
スイカバーである。
6本入の前者が300円、1本売りの後者が100円なので
当然のことながら1本売りのほうが大きい。
まさに軽トラのアンちゃんがペロペロしているのは1本売りの
大きなスイカバーなのだった。

僕は自宅用には6本入を買うことがほとんどなのだが、
メロンバーは、はっきり言ってスイカバーの美味しさには
遠く及ばない。
この世にメロンバーしかないとなれば、考慮の余地は
無きにしも非ずだけれど、スイカバーとメロンバーの
それぞれが一本立ちできる実力を持っているならば、
当然、メロンバーの1本売りがあって然るべきである。
なのにないという事実は、メロンバーがスイカバーに
寄り掛かってしか商品として成り立ちゆかないことを
証明してはいないだろうか。

いっそのこと6本入をスイカバーだけにした仕様が発売
できないのだろうか。その点についても考えてみた。
日本中の各家庭において、メロンバーを誰が食べるのか
という命題は、結構な比率で家庭争議の元になっている
んじゃないか、とまで僕は想像するのだが、
相変わらず夏になるとパッケージの変更がされないままに
スイカ&メロンバーの形態で、あくまでも売られているのを
見ると、そこには何かしらの理由があるのにちがいない。

ロッテ社長の家族の中に、メロンバー大好きっ子がいて、

「おじいちゃん、僕、メロンバーが好きだよ。でも友だちは
皆、スイカバーのほうが好きだって言うんだ。メロンバー
なんてなくなっちゃえばいいって。おじいちゃん、そんな
悲しいことにならないよね」(目がうるうる)

「ああ、ワシがいるあいだは大丈夫じゃ。お前の好物を
なくしたりするもんか。そうじゃ、退任するときにも条件として
【メロンバーを永遠に保存し後世まで伝えること】という
一文をのこしておこう…」(よしよし孫よ、と頭をなでる)

こんなやり取りがあったんじゃないかと、
僕は今のところそんなバカな想像をしてるのだけれど、
ああスイカバーを食べたくなってきた。

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人の本能

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先日の「クローズアップ現代」(NHK)では
電動車いすが取り上げられていた。
介護保険により、月々安価なリース料金で
借りられるようになって、利用者が急増。
しかし事故も増えているのだという。

①Aさん(一人暮し男性)のケース
 電動車いすを勧められて使うまでは、毎日の食料品も
 スーパーに電話して届けてもらっていた。
 車いす購入後は2キロ離れたスーパーまで自分で買い物。
 ずいぶんな変り様だとおどろいていたら、今度は5キロ離れた
 銭湯へ通いはじめた。一番風呂で知り合った人と話すのが
 何よりも楽しそうだったという。
 ある日、事故が起きる。
 銭湯までの道のり、踏切内で車輪がレールの隙間に落ちて
 身動きが取れなくなり、やがて来た列車に...。

②Bさん(女性)のケース
 足腰を悪くして自分ひとりでは出歩けなくなったBさんは
 うつむきがちになり、軽い鬱状態になったようだった。
 見かねた家族が電動車いすを与えると様子は一変。
 林道を通って離れた友だちまで一人で訪ねてゆくし、
 相手のおどろく反応を楽しんでいるようでもあった。
 何より表情が生き生きとよみがえった。
 ある日、飼い猫を連れてそぼ降る雨の中、予防接種に
 出かけてゆく途中で、林道から車いすごと転落。
 路面は濡れており、Bさんは視力がかなり悪かったという。

電動車いすは交通法上、歩行者と同じ扱いになるので、
運転免許が要らない。その簡便さが利用者の急増に
つながっているのだが、免許が不要だということはイコール
ちゃんとした使い方の講習会を受けていないことでもある。
さらに、クルマ・バイクの免許に縁の無かったお年寄りだと、
そもそも交通ルールに明るくないので、普通なら何でもない
ことが、知らないことは危険に直結する。
警察ではこうした問題点に関して、講習会を開催するなどの
対策を講じはじめている。

Bさんの家族が次のように述べていた。
「あんなことになるのなら、おばあちゃんに電動車いすを
あげるのじゃなかった。でも、自分ひとりで好きなところへ
行けて、あんなに嬉しそうだったから、おばあちゃんが
かわいそうだったとは一概に言えない」。
人は何歳になっても自分の意志で、行きたいところへ
誰にも気兼ねせずに移動したい、活動したい本能を具えた
生き物なのだろう。

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あなた一筋

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(↑等高線で描かれた十一面観音のポスター)

高校の3年間は下宿生活をしていた。
息子と娘が巣立ってゆき必要のなくなった2階の
子ども部屋を使って奥さんがはじめた下宿屋は、
3室しかなかったから寮という感じは全然しなかった。

僕の他の二人はそれぞれに個性的で、
一人は同級生の無口なO君。
ヒットラーの『我が闘争』が愛読書だと言い、
そういえば彼の顔は総帥に似ていた。

もう一人は一年上のH先輩。
この人は大食漢であると共に、推理小説マニアであり、
創元推理文庫は殆ど読んでいた。ノートに感想と点数も
付けていたようで、見かけによらず繊細な性格だった。
大きな身体でやって来ては受験と進路の悩みを
夜な夜な話すので、僕は相づちを打っていた。

このH先輩が僕を評して、
「お前は本を作家で読むのが好きなんだな」と言ったことがある。
そのときも、今も思うのだけど、
そうじゃない読み方なんて他にあるのだろうか?

僕の読書の原体験は、中学に読んだ筒井康隆作品にある。
映画原作というオビに惹かれて『時をかける少女』を読み、
他の作品もこんなふうかなと思って、エスパー七瀬が活躍する
内容に期待して読んだら、大げさに言えば人生が変ってしまった。
詳しくは書かないけど。

一人の作家を気に入ると、しばらくは追い続けてしまう。
以前は何も考えずにそうしていたのだけど、最近はふと考えてしまう。
この一冊を読んで面白かったので、できれば同じ作家の他の作品も
読んでみたいけど、
①これが最新作だから遡って読むと、未熟さや未完成な箇所が
 目に付いてしまうかもしれない。
②他の作品に触れて、もしも、同工異曲さに気づいてしまうと、
 最初に味わった感動が薄れてしまうかもしれない。
③おおよそ面白いと判断できた作家のものは置いておいて、
 もっとちがう地平の作家を探しに行くべきではないか。
④それがデビュー作だった-というケースもある。

でも、力の感じられる作家のものは四の五の言わずに
読んでしまう、というか読まされてしまう。
最近では、森博嗣、保坂和志、嶽本野ばら、などがそうで、
昨年から今年にかけて立て続けに読んだ。
先日の岡崎京子もあまりに印象的だったので、
これから集中的に追いかけてみようと思う。
離れるか追いかけるか、これは勘と、
信頼の置ける友人筋からの情報によるところが大きい。

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ネット依存

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(↑○ちゃん家のマリちゃん・さるお屋敷から家出中)

佐世保事件が大きく影響しているのだろう、
NHK教育で「ネット依存・悩みに答えます」という
番組を見た。

①オンラインゲームに夢中になってしまって、
職場に出勤する気が起こらず、
無断欠勤を繰り返すようになり、やがてクビ。
以降、今ではゲームこそ止めましたが、
2年半にわたり引きこもり状態です。(29歳男性)

②夫が帰宅して夕食後、午前2時、3時まで
チャットにハマっています。
話しかけても「うるさい」としか返事がかえってこない
状況で、さいきんではリコンの文字も頭をよぎるように
なりました。
小さい子どももいるのに、育児に協力してほしいです。
                     (31歳女性)

③☆logを1日1回更新しないと何となくやり残した
ことがあるように感じます。
ひょっとして僕がやっているのは、
職場で正当に認めてもらえない裏返しに、
バーチャルな世界で、かくありたいという自己実現を
行いたいと考え、現実社会では実現不可能な人格を
造り出して、あることないこと書いているに過ぎない
のではないでしょーか。
                     (33歳男性)
なんちゃってね。
昔からこうと決めたら毎日やらないと気が済まなくなる
ことはよくあって、最近では、プール通いとか散歩とか。
プールや散歩は、仕事との兼ね合いや、天候その他の
諸条件により、どうしても実施できない日というのは
あるわけだけど、
☆logに関しては、短い時間しかなくても短い時間なりに
書いておきたいし、またそれが可能である。

昔、実家の床の間の柱に掛けてあった時計のネジを
巻いたように、更新し続けることで、
今日という日が、たとえ大した事件が起こらなくても、
他とちがうその一日であったという記録になるし、
また、明日という日を少しでも能動的にこちら側へ
手繰り寄せようとする行為になり得る気がする。

とこのように考えていたら、ネット依存から回復するための
方法として、日記が有効だという識者のコメントがあった。
自己を客観的に見つめるのに日記は最適なツールだという。
さて、ネット上で日記をつけることは、この場合どのように
位置づけられるのだろうか。

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伊勢の花火を見てくる

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升席があるからと誘ってもらって、伊勢の花火を見てきた。
伊勢神宮奉納全国花火大会】は今年で第52回。

午後7時半から約2時間にわたり、宮川の度会橋付近で、
打上花火が50組とスターマインが10基。
加えてフィナーレに【ナイアガラ&ワイドメロディスターマイン】
という新機軸が導入され、打上総数は9,000発にも及ぶ。

夜空のスクリーンに次々と展開される光の明滅。
ずしりと腹にひびく破裂音。
座るは特等の升席、傍らにはビールと焼きソバとネギ焼き。
堪能しましたね。

ここの花火はコンテスト形式なので、一々、打上げ前に
花火師の名前と花火の名前、たとえば、
【5号曲導(キョクドウ)付、うんたらかんたら、銀芯発光牡丹、云々】
とアナウンスされる。
打上順の番号を【ホウヨウ番号】と言っているので、
てっきり【奉揚】かと思ったら、帰宅後確認すると【放揚】でした。

終了後は人もクルマも渋滞で、でも事故が起きなくて何より。
ホントは電車で帰ってこようかと言っていたんだけど、
渋滞を抜けると時刻はもう11時であり、
お言葉に甘えて泊めていただきました。

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(↑ナイアガラ&ワイドメロディスターマイン)

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レコメンドする能力

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(↑カツオのたたき)

昨夜は高校で国語を教えている友人と飲んでいて、
いま国語においてもっとも重要とされるべきは
レコメンドrecommendする能力
=不特定多数の誰かに、コレがいいよと紹介し、
推薦するスキルを磨くことではないかという話を聞いた。

夏休みの定番、読書感想文というものは
誰に読まれることを想定して書くかといえば、
友だちでも親でもない。学校の先生が読んで優劣を
判断するわけだから、そうは思うまいとしても、
ストレートに感じたことを書いては都合がわるい部分も
あるだろう。

【読書感想文】というものの定義もそもそも曖昧である。
適度なあらすじと、ツボを押さえた感想が有機的に
つながりをもって、「私はこの本からいかに感銘を
受けたか」という大団円になだれ込んでゆけば、
読み手である先生は満足するのだろうが、
あらすじはどこまで紹介すべきかとか、
書評のように書いてしまえば可愛気がなくなるから
いけないのか、とか悩みは尽きない。

そこで友人は、期末試験も終わったある日の時間を
使って、【夏休みに友だちに薦めたい本とその理由】
という課題を出したという。
皆(高1)が挙げてきた書名としては、
ハリー・ポッターシリーズ、「世界の中心で愛を叫ぶ」、
ドラマの原作本やノベライズが多かったそうである。

読書感想文だったらもう少し気取った本の選択に
なるだろうから、気安く、自分が読んで面白かった本に
ついて普段着の文章で友だちに薦めるというのは、
わりに新鮮な体験だったんじゃないかなと、
僕なんかは自分の高校時代を思い返してみてそう感じる。

評価という秤に掛けられるというのではなくて、
自分の推薦文を読んで、じゃあその本を面白そうだから
手に取ってみようかな、と目線の近しい友だちに思って
もらえる文章に求められる要素とは何だろうか。

①自分がそれを知り、読んでみようと思い立った理由・いきさつ。
②小説の場合、どのようなストーリーであるか。
 それ以外の評論、エッセイだったら、何がテーマであり、
 どのようなアプローチを著者は取っているか。
 ※あくまでこれから読む友だちに推薦するのだから
  ネタバレしてはいけない。
③②を充分に理解した上で、この本を読んだことで自分は
 どのような感銘を受けたか。楽しいときを過ごせたか。
 読む前の自分が、読んだあとではいかに変ったか。
この3つがあればいいかな。

本離れが進むと言われている中、評論家や偉い先生方が
自信と権威をもって薦めるよりも、
クラスメイトがどんな本を、どのように読んでいるかを知るほうが、
一冊でも多くの本を手に取る機会が増えるかもしれない。
ちょっと可愛い女の子や、カッコいい男の子が何を読んで
いるかなんて、自分の時計を高校生の時分に巻き戻すことが
できるなら知りたくなるじゃないですか。
なかなか面白い企画じゃないかと思った。

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